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2014年12月28日(日)
泉岳寺に行ったついでに途中で増上寺にも寄ってきました。右肩の東京タワーは景観という点からしたらどうなのって感じですが、これはこれで「新旧東京」って感じで評価されてるっぽいですね。みんな好きみたい…。
歴史に興味があった頃なら寺社めぐりなどしたと思いますが、ここ数年あんまり日本史に興味ない時期が続いています。関心が薄れている時期はなかなか行動に移せません。
増上寺もそんな感じで初訪問〜かな? 安珍清姫の道成寺とずっと混乱してました。💦
この時はまだ「増上寺宝物展示室」はありませんでした。
ちょっと気になった風景。魚のマークが可愛い。
竹が涼しげなので夏に見てみたいです。
徳川将軍家墓所特別拝観。
徳川将軍家墓所。以前は特別拝観日のみ公開でしたが、今は火曜の定休日以外はずっと公開しているようです。有料です。
上の写真の門を内側から撮ると↓こうなってます。入口は門ではなく、くぐり戸みたいなところから入りました。
やはり戦災で焼失後、遺骨を発掘して改装してます。
詳しくは増上寺のWEBで。両側にお墓があって2例になっています。ほぼ同じ場所から撮ったのですが、日向側と日陰側で雰囲気が全然違います。
第十四代将軍 徳川家茂公のお墓。
1000体以上のお地蔵さんがずら〜り。千躰子育地蔵尊。
私、あんまり地蔵は好きではありません。羅漢とかは見るの楽しいのですが。空きがあるとお地蔵様の御寄進ができるようで見るからに新しいお地蔵様もいます。
そもそも地蔵は菩薩(ざっくり言って高位の修行者)なのに、なんで子供の姿? とちょっと疑問に思って調べました。
賽の河原で子供は父母の供養のために小石を積み上げて塔を作ろうとするが、絶えず鬼にくずされる。そこへ地蔵菩薩が現れて子供を救う
という話からか、子供の守り神的な感じで子供の姿になったんでしょうか。
それにしても、亡くなった子供に対して仏教は過酷すぎない? と思ったら、日本の鎌倉時代以降の民間信仰なんだそうです。確かに親より先に亡くなることが親不孝というのはわからないでもないけど、ケースバイケースですよね。
本来は童子の戯れに沙を聚めて仏塔と為る、是の如き諸人等、皆已に仏道を成じき
という「法華経」の言葉を元に作ったお話のようです。子供が砂遊びで塔を作っても功徳がある〜的な話がどうしてこんな意地悪な展開になってしまったのかな。
当時の民衆に、努力して積み上げても破壊されて虚しい…というような歴史背景があったんでしょうか。そういう状況は今もありますけど。ともかく賽の河原のお話は仏教の教えとは本来関係ないようです。
仏教ではあちこちの神様を取り込んで付け足していくので、整合性が取れていないものも多々ありますね。