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2014年12月28日(日) 母の希望で泉岳寺に行きました。
突然思い立って泉岳寺に! かな〜り昔、12月14日(討ち入りの日:本来は旧暦)に一人で行ったことがあります。さすがにこの日は人が多くてお線香の煙がすごかったという記憶しか残ってません。あとは、赤穂の「塩味饅頭」をお土産に買ったことくらいしか 覚えていません。結構塩味効いてました。
古地図で見ると泉岳寺の参道の外は海ですが、今は埋め立てで海感ゼロとなっています。赤穂浪士は雪の降る海を左手に歩いてきているはず…。
寛永18年(1641年)の寛永の大火によって消失→高輪に移転。
その後も戦火(第二次世界大戦)で焼失したそうで、もっとも古い建造物は1832年に再建されたこの山門と講堂のみ。それでも討ち入り(1703年)より100年は後のようです。ということで、建物と「忠臣蔵」はまったく関係なしということになります。
場所とお墓のみがゆかりの史跡ですね。大石内蔵助の銅像です。
「主税の梅」大石主税他九名が松平隠岐守邸内のこの梅の下で切腹したとか…。
「血染の石」浅野内匠頭自刃の場所にあったものとか…。
「首洗井戸」ここで洗って墓前に供えたとか…。
「首洗井戸」普段は網付きのようで風情はないです。子供だとスポッと落ちてしまうのかも。
お墓のエリアを見てみましょう。
うろ覚えですが、昔と比べるとかなり変わった感じがしました。墓所周辺は改装されたようで、スロープが出来ています。訪ねるのもお年寄りが多そうですし、今は車椅子でも行けそうです。
「赤穂義士記念館」も新築できれいになりました。昔は保存状態よくないなあ〜という感じのものが、お化けでも出そうな(失礼💦)古い木造の建物に展示してあって、異空間で楽しかったのですが…😂
飯盛山の白虎隊などでもよく見る定番アングルで撮ってみました。お線香は墓所入口で売ってます。
討ち入りの現場「吉良邸跡」に行ってみます。
さて、泉岳寺を後にして、討ち入り後に義士たちが歩いた道を逆にたどり、吉良邸跡に向かいました。お屋敷は100m走ができるちょっとしたグラウンドくらいの広さがあったようですが、今はその一角だけでこじんまりとしたゆかりの公園になってます。
人が少ない都内、年末のドライブ最高!
吉良邸跡のすぐそばにあった和菓子屋さん「両国大川屋」。名物「吉良まんじゅう」、買ってません! 食べたい。銘菓「隅田川」は鳩みたいな形の最中かな。かわいいです。
電車と並走してます。
青空だとドライブって本当楽しいです。
途中で見かけた町の電気屋さん「東京テレビ」。レトロな雰囲気でした。サイトもちょっとレトロ感…。